多様性ってよく聞くけど結局どういうこと?

日常の違和感

”多様性”って言葉最近よく聞きますよね!

多様性を認めよう!とか、ダイバーシティだ!とか。

言葉に対する解釈って人それぞれだと思うんですけど、この言葉が広がっていく様は個人的にとてもうれしく感じています。

多様性って言葉が目に留まるだけで、今まであんまり問題と感じてこなかったところにみんなで注目できると…そう思います。

ということで、今日は”多様性”ってつまりどういう状態?というお話です。

ひとりひとりの違いを認識すること

多様性というのは”ひとりひとりの違いを認識する”ということです。

単純にいろんな人がたくさんいるよねって事ではなくて、まず”どう違うのか”を認識してそれを”存在して当然”と認めるということなんですよね。

もし自分がカレーが好きで、カレー好き以外知らない(認識していない)状態だとすると、もしラーメンが好きって人が現れたときに、え!?カレー好きじゃないの!?普通じゃないよ~となるわけです。

左利きの人を知らずにいると、左手で器用に文字を書く人を見て、うわ!それ人としておかしいよ!右手で書けるように治すべきだよ!となるんですよね。

すごい極端な例かもしれないですけど、人間って知らない事に対する恐怖感がありますし、どうしても排除したくなっちゃうなんだか拗らせた一面もあるのも事実です…ひええ

”違う”から蔑んでいいっていうのが合法っぽい文化

わたしがちっちゃい頃は、まだトランスジェンダーだって言葉も知らなかった中で、知識を得られるものがもっぱらテレビ番組だったんです。

その中でよく言われていた言葉が、オカマとかオネエとかそっち系とか…で、そう言われている人たちは、周りの芸人さんとかから気持ち悪い~~って蔑まれて、なによ~~って誇張した女性口調でしゃべって笑いを取る、という感じ。

わたしもこうやって生きていかなければいけないのかなと、なんとなく感じていました…

それがテレビの中だけならまだしも、家庭や学校内でも同じような事が起きてるんですよね。

わたし以外の人がそんな笑いのターゲットになっていたとしても、自分のことのように受け止めてしまって、ずっと苦しい毎日でした…

笑っていた側も、悪気とかそういうのは無くてほんとただ面白いからってだけなんですよね。

要は、これが”知らない”っていう状態です。

自分がだれかを傷つけていることすら、違いを知らないと気付かないんです…

まずは知ること!これに尽きる!

じゃあ知るためにはどうすればいいかって言うと、やっぱり自分から情報を探すしかなくて。

その手段は、例えばネット記事を見たり、知らない言葉をググってみたり、友だちとの会話の中であえて話題に出してみたり。

人間の社会って性の事だけではなく、年齢も趣味も様々ですし、国籍・人種・宗教など本当にいろんな要素がありますよね。

知らないと”怖い”と感じてしまうことでも、知るともっともっと興味を持つことができて、むしろ好きになることの方が多いんじゃないかなって感じています。

違うって言うことを、もっと肯定的に捉えられる世の中になればいいなあって願っています。

今日も最後までご覧いただいてありがとうございました!

また!

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