みなさんこんにちは、いちかです。
お元気でしょうか。
なんとなーくしょんぼりする日ってありませんか…
特に何かあったわけじゃないんですけど、なんとなく寂しい…
そういうときによく思い出すことがありまして、今日はそんなお話です。
びっくりするくらいコミュ障だった
わたし中学生とか高校生のころ、なかなか周りとうまくなじめずにいました。
いや、自分としては周りと話を合わせて、別に面白くない話題でもケラケラ笑ったりして…うまいことしてたつもりではいたんですけど。
ぜんっぜん、それはもうびっくりするくらい仲良くなれず、友だちって呼べる人なんていたのかなって…
性格もどこかこじらせていて、せっかく仲良くなってもバカにするような言い方しちゃって、気が付いたらその子も離れて行ったりして。
おいおいおいなんて性格悪いんだ…わたしよ…
コミュニケーションへたっぴすぎでしょ…
高校の卒業アルバムの最後のページなんてわたし一人だけ白紙だったし、でもそれが恥ずかしくて、翌日処分してしまった思い出です。
今思えば、過去を掘り返され無くて済むので正解とも思ったりしますが笑
当時の価値観では、友だちがいなかった高校なんて、それこそ無価値同然だったんですよね。
残念ながら結局一人で生きることなんてできないんです
学校や会社などのコミュニティにいられなくなる最大の理由は、人間関係の直接的なトラブルですよね。
明確な目的を持って、やりがいを感じて取り組んでいても、周りの人とうまく関係を気付くことが出来なければ、それだけで「向いてないのかな」とか「わたしはここにいないほうがいいかも」って思ってしまいます。
両親ともうまく関係を気付くことが出来ずにいたので、学校でも家庭でもずっと一人でした。
だから、高校卒業して大学生になったときに、もう一人でいようって決めたんです。
大学では友だちを作らない!って。
”クラス”って概念がないのならそれは好都合で、必要な講義を受けて、試験勉強していればまあ単位は取ることが出来て、そしたら進級や卒業まで行けるわけですしね。
そんな大学での出来事
あるとき、ふと先輩にサークルに誘われたことがあります。
もう記憶のかなたに葬り去っているので、それがどんなサークルだったかあんまり覚えてないんですけども笑
とにかく敷地の端の方にある、あんまりいかない”部室”がある棟…その一部屋に連れていかれました。
そこでは、わたしと同じゴスロリやパンクファッションの生徒がたくさん居ました。
(今更ですが大学生のころ、そんな感じの恰好を普段着にしておりました笑)
そこでお茶飲みながら先輩とお話してた記憶…なんですけど…
いや、お話なんて出来なかったんです…
お話の仕方が…まったくわからなかったんですよね…
そんなことある!?でもほんと、何を言えばいいのか、今わたしはどんな顔をすればいいのかわからず、ただ”居た”という感じでした。
結局その部室に入ったのはその一回きりで、やっぱり馴染めなんかできずに卒業まで一人で過ごしていました。
ゴスロリのわたしと仲良くなりたかったはずなのに
当時のわたしは、優しく差し伸べられた手に何も感じていなかったのか…
いや、むしろ自分”なんか”を受け入れるなんて気持ち悪いとさえ思って、自分から差し伸べられた手を振り払っていたんですよね…
そして大学卒業後、このことを強く後悔するときがやって来ます。
それはLGBT当事者たちのコミュニティに誘われて、訪れた場所でのこと…自分が何者なのか気が付いた日…
そして、自分はここにいていいんだって生まれて初めて感じられた日。
今まで拒絶に拒絶を重ねてきた”人間”に、わたしの心が救われたんですよね。
これ書いてて泣きそうになってきました…!
この続きはまたいつか書くことにします。
ごめんなさい!
最後までご覧いただいてありがとうございました!
またね!
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